国境線は地図の上では一本の線ですが、その線の上に立たされた人にとっては、毎日くり返される質問です。「お前はどちら側の人間なのか」——今回の4作は、その問いを一度も解いてもらえなかった人たちの話です。国が割れたから不幸になった、という単純な筋ではありません。線が引かれたあとも、人はその線をまたいで働き、結婚し、家族になっていく。その手触りを4冊で並べました。
この4作に共通する効きどころ
共通点は「身元が、自分の意思と関係なく決められること」です。4作とも主人公の努力や能力では動かせない場所に線があり、その線が人生の進路を先に決めてしまいます。
- 満洲国の建国大学——五つの民族のどこにも完全には数えられない青年
- アルプスの峠——通す/通さないを決める関所そのものが主役
- 十八世紀のチベット——異国から嫁いできた花嫁が、よその土地の家族になるまで
- 戦後の中国——日本名と中国名の二つを持って生きた技術者
並べて読むと、もうひとつ共通点が出てきます。線の内側にいる人のほうが、線を強く意識しているということです。関所の代官も、学舎の同級生も、職場の同僚も、相手の身元を確かめずにはいられません。この4作が描いているのは、問われる側だけでなく、問う側の不安でもあります。
なお当サイトには異文化に放り込まれた歴史まんが5選もありますが、あちらの軸は「外から来た人がどう適応したか」です。今回は適応しても消えない線のほうを見ます。
『虹色のトロツキー』安彦良和(満洲国・1930年代後半/★本命)
日本人の父とモンゴル人の母を持つウムボルトが、五族協和をうたう建国大学へ入学する。
なぜ効くか。身元の書類に空白があるというだけで、入学の場面から「お前は何者か」と問われ続けます。そしてこの問いは、全8巻を読み終えても一度も解決しません。線の上に立つというのは、答えが出ないまま問われ続けることなのだと分かります。物語はやがて満洲とソ連の国境で起きたノモンハン事件へ傾いていきます。
わたしが引っかかったのは、学舎の理念そのものは本気で語られている点でした。五族協和を嘘として描けばもっと読みやすいのに、作者はそうしません。理念が本気であるほど、継ぎ目に挟まった一人が宙に浮く。※作中が扱う時代の評価については諸説あります。
『狼の口 ヴォルフスムント』久慈光久(アルプス・14世紀初頭)
ザンクト=ゴットハルト峠に据えられた関所に、逃れる者・独立を目指す者が挑み続ける連作。
なぜ効くか。この作品では、線そのものが主人公です。ハプスブルク家が置いた関所の代官ヴォルフラムは、隠した武器も偽った身分も先に読み切り、挑む側を容赦なく跳ね返します。国境を「越えられるかどうか」だけで一冊が成立することを、この作品は証明しています。
第一話で主人公だと思って追っていた若い二人が、実は関所の強さを示すために置かれていたと気づいた瞬間、読み方が切り替わりました。英雄の伝記ではなく、無名の人が順番に挑んでいく記録として積み上がっていきます。※歴史上の経緯には諸説あります。
『テンジュの国』泉一聞(チベット・18世紀)
十三歳の医者見習いカン・シバと、異国から嫁いできた花嫁モシ・ラティの暮らし。
なぜ効くか。4作のなかで唯一、線を越えたあとの日常を描きます。大きな戦も英雄も出てきません。薬草を摘み、病人を診て、婚礼の支度をする——その積み重ねで、よその土地から来た人が家族になっていきます。境界は、越えた瞬間ではなく、越えたあとの時間で消えていく。
全5巻と短く、巻ごとに「暮らしの場面」が一つずつ増えていく構成です。緊張の連続である他の3作のあとに読むと、同じ主題でもこれほど静かに書けるのかと驚きます。
『大地の子』山崎豊子(中国・戦後〜1980年代)
大陸に取り残された日本人の子どもが中国人の養父に育てられ、日中合弁の製鉄所建設の現場に立つまで。
なぜ効くか。日本名と中国名の二つを持つ主人公は、中国の学校で学び、中国の組織で働きます。それでも出自は折にふれて立場を揺らします。線は書類の上から消えても、人の口のなかには残り続ける——4作のなかでもっとも長い時間をかけて、それを見せる一作です。
前半の家族の話を読みたくて手に取ったのに、結果として後半の製鉄所の章にいちばん時間をかけました。炉の設計、工期、通訳を挟んだ会議の空気まで書き込まれていて、小説なのに産業ドキュメントの手触りがあります。※取材をもとにした小説で、個々の歴史的評価については諸説あります。
現代の私たちへ
「どちら側か」を先に決めたがるのは、昔の国境だけではありません。どこの出身か、前はどこにいたか、本当はどちら寄りなのか——人は相手を置く場所が決まるまで落ち着かないものです。
仕事でも同じことが起きます。中途で入った人、兼務の人、部署をまたぐ役割の人は、実力とは別のところで「で、どっちなんですか」と問われます。この4作が教えてくれるのは、その問いに満点の答えは無いということです。ウムボルトは最後まで答えませんし、『大地の子』の主人公も二つの名前を捨てません。答えを出すかわりに、線の上で仕事をして信用を積む——4人が選んだのはそちらでした。
0円で試してから決める
4作とも長編です。買い切る前に、まず読み放題や聴き放題の無料体験で手触りを確かめる手もあります。合わなければ体験期間内にやめられます。
まとめ
国境を主題にした作品は、たいてい「越えた・越えられなかった」で終わります。今回の4作がおもしろいのは、越えたあとも線が残り、越えられなくても日常が続くところを書いていることです。満洲の学舎で問われ続けた青年、関所を落とせなかった人々、よその土地で家族になった花嫁、二つの名前を持ったまま働き続けた技術者。最初の一冊に迷ったら、問いがいちばん鋭い『虹色のトロツキー』の第1巻からどうぞ。電子版なら495円で、自分に合うかは1冊で判断できます。



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