鎌倉大仏(高徳院)歴史さんぽ|八百年、露天で鎌倉を見つめる国宝の仏さまを歩く【読む→歩く→また読む】

歴史さんぽ

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木々のあいだを抜けると、まっすぐな参道の先に、あの大きなお姿があらわれます。青空の下、静かに目を伏せて座る鎌倉大仏。八百年近くこの地で人々を見守ってきた仏さまは、写真で何度見ても、実物の前に立つと不思議と背筋が伸びます。今回の歴史さんぽは、鎌倉のシンボルであり国宝でもある「鎌倉大仏(高徳院)」へ。ただ拝むだけではもったいない、その歴史を知ってから歩くと、境内の景色がぐっと立体的に見えてきます。

鎌倉大仏(高徳院)とは

鎌倉大仏は、正しくは高徳院というお寺のご本尊で、国宝に指定されている「銅造阿弥陀如来坐像」です。像の高さはおよそ11.3メートル、重さは約121トン。造立が始まったのは1252年(建長4年)ごろと伝えられ、僧・浄光が広く寄付を集めて造られたとも言われています。鎌倉幕府が力を持っていた時代に、多くの人々の祈りと浄財が積み重なって生まれた、まさに”みんなの仏さま”です。

青空の下に座る鎌倉大仏(高徳院の国宝・銅造阿弥陀如来坐像)
像高約11.3メートル。八百年近く、露天でこの地を見つめ続けている。

歩いてみる——ここが見どころ

いちばんの見どころは、大仏さまが屋根のない「露坐(ろざ)」であること。実はもともと、この大仏を覆う大きな大仏殿がありました。ところが鎌倉幕府が滅んだのち、たびたびの台風や大津波によって建物は倒れ、1498年(明応7年)ごろにはお堂を失って、今のように青空の下へ。つまり私たちが見上げているのは、幾度もの災害を越えて残った姿なのです。そう思うと、おだやかな表情がいっそう力強く感じられます。

もうひとつ、境内の一角には歌人・与謝野晶子の歌碑があります。「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」——夏の木立のなかで大仏を”美男”とうたった、有名な一首です。実際のご本尊は阿弥陀如来ですが、晶子の目にはそう映ったのでしょう。歌を思い浮かべながら見上げると、また違った横顔に出会えます。大仏の胎内に入れる「胎内めぐり」もでき、内側から鋳造の跡を間近に見られるのも、ここならではの体験です。

大仏から江ノ電で、鎌倉をもっと歩く

高徳院の最寄りは江ノ電の長谷駅。せっかくなら、そのまま江ノ電に揺られて海沿いを走るのもおすすめです。窓いっぱいに広がる相模湾と江の島の眺めは、鎌倉さんぽのごほうび。海と山、寺社と潮風が近い距離に同居しているのが、この街の魅力です。

江の島を望む海沿いを走る江ノ電(鎌倉行き)
大仏のあとは江ノ電で海へ。歴史と潮風が地続きなのが鎌倉のいいところ。

読んでから歩くと、もっと面白い

鎌倉時代を舞台にした漫画を読んでから訪れると、街の見え方が変わります。たとえば松井優征さんの『逃げ上手の若君』は、鎌倉幕府滅亡という激動のなかを生きた北条時行の物語。この大仏が造られた時代の”その後”を知ると、露坐となった経緯にも歴史のうねりを感じられます。読む→歩く→また読む。この往復が、聖地巡礼のいちばんの楽しみ方です。

鎌倉時代を漫画で味わう『逃げ上手の若君』

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現代の私たちへ

鎌倉大仏がいまも私たちを惹きつけるのは、その”完璧でなさ”にあるのかもしれません。守ってくれるはずのお堂を失い、それでも壊れず、たださらされたまま座り続ける。八百年のあいだに何度も災害に見舞われながら、逃げも隠れもせず、静かにこの地にあり続けた姿は、思い通りにいかない日々を生きる私たちに、そっと寄り添ってくれます。うまくいかないことがあっても、そこにあり続けること。その静けさに、私たちは知らず知らず励まされているのかもしれません。

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まとめ

鎌倉大仏(高徳院)は、ただ大きいだけの観光名所ではありません。造立の祈り、大仏殿を失った災害の歴史、与謝野晶子のまなざし——知れば知るほど、その表情に奥行きが生まれます。鎌倉時代を描いた漫画を片手に、大仏を見上げ、江ノ電で海へ。読んでから歩けば、いつもの名所がきっと特別な一日になります。夏木立のなかの”美男”に、あなたも会いに出かけてみてください。

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