酒見賢一『陋巷に在り』全13巻を途中で止めないための三点セット|『墨攻』759円・『論語』1,276円を横に置く読み方

酒見賢一『陋巷に在り』全13巻のアイキャッチ画像 小説

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酒見賢一さんの『陋巷に在り』は、孔子の弟子・顔回を主役に据えた新潮文庫の全13巻です。題名は『論語』雍也篇の「一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り」から取られています。褒め言葉だけを残してほとんど発言が伝わらない弟子を、呪術が現実として機能する春秋の魯の国に置き直し、孔子という人物の内側まで踏み込んでいく長編です。歴史小説の棚にありますが、伝奇小説として読んでも長さを感じません。

ただ、13巻という数字で手が止まる作品でもあります。私も最初に合本版の値段(8,745円)を見て、その日はそのまま閉じました。結論から書くと、この長編は単体で挑むより、『墨攻』と『論語』を横に置いてから入るほうが途中で止まりません。三冊が春秋戦国という時代の、別々の層を埋めてくれるからです。

迷ったら、この1冊から

まずは電子の第1巻(564円)だけで足ります。「儒の巻」は顔回が孔子の門に入るまでを描く巻で、ここが合わなければ13巻も合いません。564円で見極めがつくのは、長編に手を出すときのいちばん安い保険です。

『陋巷に在り1 儒の巻』を電子で読む(564円・6ポイント)

顔回——名前は有名なのに、何をした人かは誰も言えない

孔子の門人は三千人、そのうち優れた弟子が七十二人と伝えられます(記録によれば、という前提の数字です)。その筆頭が顔回です。『論語』のなかで孔子は彼を繰り返し褒め、早世したときには「天、予を喪せり」と嘆いたと伝わります。ところが顔回自身の言葉は、ほとんど残っていません。政治で功績を上げたわけでもなく、著作もありません。最高の評価だけがあって、中身の記録が空白——これが顔回という人物の不思議なところです。

酒見さんはこの空白に、まるごと一本の長編を注ぎ込みました。顔回を「貧しくても楽しんでいた聖人」として片付けず、魯の国の呪術者の家系に生まれた青年として描き直します。春秋の中国では、呪いは比喩ではなく技術でした。『陋巷に在り』の顔回は、その技術を使える側の人間として孔子の前に現れます。

私がこの作品を人に薦めたくなるのは、ここで孔子の見え方が変わるからです。徳の人として像になった孔子ではなく、就職活動に失敗し続け、弟子に生活を支えられ、それでも礼楽の国を作ろうとして諸国を歩き回った中年男として立ち上がってきます。第1巻を読み終えた夜、私は『論語』を本棚から引き出して顔回の出てくる章を探し直しました。小説が原典を読ませてくる、という体験はそう多くありません。

13巻は長さの問題ではなく、入口の遠さの問題だった

13巻で止まる人の理由は「量」ではないと思います。春秋時代の地理と官職、儒家と他の思想のあいだの緊張、呪術の作法——この三つが同時に初登場するので、第2巻あたりで情報の密度に負けるのです。私も一度そこで止めました。

再開できたのは、同じ時代を扱った別の本を先に読んでからでした。順番を変えるだけで、同じ巻が急に軽くなります。だから以下は「あわせ買い」の話ではなく、読む順番を組み替えるという話です。

三点セットの組み方——まんが・原典・長編の順で薄い層から埋める

①『墨攻』(電子1巻759円)で、この時代の地面の硬さを知る

『墨攻』は酒見さんの小説を原作に、久保田千太郎さんが脚本、森秀樹さんがまんがにした全11巻です。舞台は春秋のすぐ後、戦国時代。墨家の革離がたった一人で小さな城の守備を引き受ける話で、城壁の高さ、兵糧の計算、人が人を数える感覚が絵で入ってきます。

『陋巷に在り』の背景にあるのは、こういう世界です。思想が尊ばれたのではなく、思想を売って国を渡り歩くしかなかった。まんがで地面の硬さを知っておくと、孔子の放浪が理想の旅ではなく営業行為に見えてきて、顔回の貧しさも急に具体的になります。同じ原作者の作品なので、人の数え方の冷たさが共通しているのも読み比べの面白いところです。

『墨攻(1)』を電子で読む(759円・8ポイント)

全11巻のあらすじと結末は森秀樹『墨攻』全11巻のあらすじと結末にまとめてあります。先に結末まで知ってから入っても、この作品は損をしません。

②『論語』岩波文庫(1,276円)は、顔回の章だけ先に読む

通読しなくていい、というのが私の実感です。金谷治さん訳注の岩波文庫版(1,276円・在庫あり)を買って、索引から顔回・顔淵の出る章だけ拾い読みします。十数カ所しかありません。三十分で終わります。

そのうえで『陋巷に在り』を読むと、小説のどこが原典で、どこが酒見さんの創作かが分かれて見えます。これは面白さを損ないません。むしろ「この一行だけを材料に、よくここまで建てたな」という驚きのほうが強くなります。原典の薄さを知っているほど、小説の肉付けが効いてきます。

『論語』岩波文庫(金谷治訳注・1,276円)を見る

同じ『論語』を三つの版で比べた話は湯島聖堂 歴史さんぽ|『論語』の三つの版を読んだ実感で選ぶにあります。訳の硬さで迷ったらこちらを先に。

③『陋巷に在り』は1巻ずつ、合本版は二周目の買い方

13巻の電子版は1冊564円から715円のあいだで、巻によって違います(第1巻564円・第2巻627円・第12巻715円を実測)。全巻合本版は8,745円で、1冊あたりに割り戻すと単巻より安くはありません。

では合本版は何のためにあるか。二周目のためです。この長編は呪術の作法と伏線が後半で回収されるので、通読後に前半へ戻る人が必ず出ます。そのとき13ファイルを行き来するのは面倒で、1ファイルのほうが圧倒的に速い。最初から8,745円を出す理由はありませんが、読み終えてから買い直す価値はあります。

紙で揃えたい方は楽天ブックスにも新潮文庫版があります。Amazonの文庫は新品の流通が薄く、中古の出品が中心でした。

楽天ブックスで『陋巷に在り(1)儒の巻』の紙を見る

全13巻の合本版(8,745円・87ポイント)を見る

まんが版『顔回伝奇』を入口にしない理由

『陋巷に在り-顔回伝奇』というまんが版が全3巻あります(羽生生純さん作画・1巻780円)。絵の力は強いのですが、全13巻の長編を3巻に落としているので、呪術の手順と人物の動機がかなり省かれます。入口にすると「話は分かったが面白さが分からない」状態になりやすい。小説を読んだ後の確認用として見るのがいいと思います。在庫も薄く、残り1点の表示でした。

現代の私たちへ

顔回が歴史に残したのは、業績ではなく評価だけです。本人が何を考えていたかは誰も知らない。それでも二千五百年、名前が消えませんでした。成果で記録を残す人と、誰かの口を通して残る人がいる——組織で働いていると、後者のほうが実は多いと気づきます。報告書に名前が出ない人の仕事で、その月が回っていることがある。この小説が救いになるのは、評価だけが残った人の中身を、誰かが本気で想像してくれた点です。記録に残らない仕事をしている日に、ひらく本だと思います。

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結論——759円と1,276円を先に払うと、13巻が短くなる

合計すると、『墨攻』1巻759円と『論語』1,276円で2,035円。これを先に払っておくと、『陋巷に在り』の第2巻で止まる確率が下がります。長編をそのまま突破しようとして2巻で止めた私の経験からすると、2,035円は安い回り道でした。

読む順番は、まんがで地面を知り、原典で空白の大きさを知り、それから小説に入る。薄い層から埋めていくと、厚い層が軽くなります。春秋戦国から入るなら、ここが一番つまずきにくい入口だと思います。

あわせて読みたい

同じ春秋時代を扱った長編では宮城谷昌光『重耳』全3巻はどれで読む?文庫2,398円と電子合本1,815円を比べるがあります。巻数が少ないので、13巻の前の肩慣らしにも向きます。孔子を別の角度から描いた作品としては諸星大二郎『孔子暗黒伝』と『暗黒神話』はどちらから読むかも置いてあります。中国史そのものを時代順にたどりたい方は中国の歴史を漫画で学ぶ完全ガイドからどうぞ。

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