生きているあいだの評価と、死んでからの評価が食い違う——歴史を読んでいると、この落差にたびたび出会います。今回並べる四作の主人公は、いずれも同時代の採点では負け側か、そもそも数えられてさえいません。数えで二十一で敗死した南朝の将、破戒僧と呼ばれた禅僧、功績を別の名前で呼ばれた技術者たち、賊軍として死んだ元勲。それでも四人の名は、いまこちらに届いています。採点表が書き換わるまでに何が起きたのかという目で読むと、時代も舞台もばらばらな四作が一本の線でつながります。
この四作に共通する効きどころ——同時代の採点は、その場では確定しない
歴史の本を読んでいて意外なのは、後世の評価が高い人ほど、生きているあいだの評判が悪かったり、そもそも記録にほとんど残っていなかったりすることです。勝った側や書ける側の記録が残りやすいのだから当然なのですが、読んでいるとその当然さを何度も忘れます。
この四作が描くのは、採点される側が、自分の点数を知らないまま終わる時間のほうでした。四人とも、生きているうちには自分が後にどう呼ばれるかを知りません。知らないまま、それぞれの仕事を終えています。
- 南北朝の奥州と京——二十歳そこそこの将が、勝ち目の薄い戦を二度引き受ける
- 応仁の乱の京——戒律を守らない僧が、権威をからかいながら焼けた寺を立て直す
- 明治から昭和の日本——先を行った研究や記録が、別の誰かの名前で呼ばれる
- 維新のあとの東京と鹿児島——国をつくった二人が、賊軍と暗殺という終わり方をする
評価が入れ替わるのは、本人の死後に誰かが数え直したから
四作を続けて読むと、逆転が自然に起きたわけではないことが見えてきます。祀った人がいた、書いた人がいた、描いた人がいた。誰かが数え直す仕事をしたときにだけ、順番は入れ替わっています。
そして数え直しは、たいていうんと後になってから始まります。南朝の将が神社に祀られるのは明治に入ってから、風狂の禅僧が子ども向けの主人公として広く知られるのはさらに後、賊軍の名が消えるまでには十年以上かかりました。どこまでが記録で、どこからが後世の必要だったのか。読みながら一度立ち止まる価値があります(※諸説あり)。
四作を一作ずつ
『破軍の星』北方謙三/数えで二十一で死んだ将が、五百年後に祀られるまで
なぜ効くか。南北朝。後醍醐天皇の南朝方として、北畠親房の子・顕家が奥州から二度、京へ攻め上がります。二度目の途中、和泉の石津で敗れて戦死。数えで二十一でした。戦としては負け、しかも属していた南朝そのものが、後の時代には正統でない側として扱われた時期もあります。同時代の採点表でこの人を高く書く理由は、どこにもありませんでした。北方謙三はその短い生涯を、一冊で書き切っています。
一人称の推し。私がいちばん引き込まれたのは、勝ち目の計算が本人にも読者にも見えている状態で、それでも馬を前に進める場面でした。負けると分かっている側を読むのはしんどいはずなのに、読後感は不思議と重くありません。四百九十六ページの一冊完結なので、南北朝を一度も読んだことがなくてもここから入れます。四作のなかでは最も入口が軽い一冊です。
『あっかんべェ一休』坂口尚/破戒僧と呼ばれた男が、禅の代表になる
なぜ効くか。室町。一休宗純は、酒も肉も遠ざけず、権威と形式をからかい続けた僧として描かれます。応仁の乱で京が焼け、人が大量に死んでいく時代です。戒律を守らない僧という評判は、生きているあいだの実際の評価でもありました。その同じ人が、焼けた大徳寺を立て直す側に回り、後の世では禅そのものの顔になっていきます。
一人称の推し。坂口尚の絵は、笑っている顔と死んでいる顔を同じ線で描きます。一休がふざけるほど、背後の戦乱がはっきり見えてくる。私はこの作品を読んで初めて、一休の奇行を「性格」ではなく「時代への返答」として読めるようになりました。全四巻でまとまっているので、室町の入口としても扱いやすい一作です。
『栄光なき天才たち』伊藤智義・森田信吾/功績を別の名前で呼ばれた人たち
なぜ効くか。四作のなかで、評価の逆転そのものを主題に据えているのはこの一作だけです。一話ごとに主役が変わる連作で、科学者、技術者、スポーツ選手が並びます。先に着いていたのに名前が残らなかった人、記録が別の誰かのものとして語られた人。近代の日本と世界が舞台なので、南北朝や室町よりも読者の現在に近く、刺さり方も直接的です。
一人称の推し。一話読むごとに、自分が誰かの功績を人違いのまま覚えていた可能性を疑うことになります。読み味は重いのですが、連作短編なので一話で切り上げられるのが助かりました。版が三つあって収録範囲も総額も違い、選び方で支払額が十倍以上ひらきます。どれから入るかは下の記事で実額を並べています。
『翔ぶが如く』司馬遼太郎/賊軍として死んだ側と、嫌われたまま殺された側
なぜ効くか。維新を成し遂げた二人が、そのあとに決裂します。西郷隆盛は城山で死に、賊軍の名を負いました。名が公に戻るのは十年以上あと。大久保利通は紀尾井坂で殺され、郷里ではその後も長く嫌われ続けます。国をつくった当人たちの同時代の採点が、これほど低かったという事実が、四作を貫く軸をいちばんはっきり示します。
一人称の推し。征韓論から西南戦争までの十年を、どちらかを悪役にせずに追っていく書き方に引き込まれました。全十巻なので四作では最も長い。私は西郷の側に感情を寄せて読み始めて、大久保の側でも同じだけ止まることになりました。時間をかけてもいい一作を探しているならここです。
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現代の私たちへ
四作を続けて読み終えて残ったのは、同時代の採点は、採点する側の都合で決まっているという感触でした。顕家は負けたから低く、一休は戒律を外れたから低く、名を残せなかった技術者は先に着きすぎたから数えられず、西郷と大久保は終わり方のせいで長く低いままでした。どれも仕事の中身の評価ではありません。
仕事でも同じことが起きます。いま低く付けられている点数が、その仕事の値段だとは限らない。ただし四作が同時に示しているのは、逆転は自動では起きないということです。祀った人、書いた人、描いた人がいたから順番が入れ替わりました。だとすれば自分にできることは二つで、残る形にしておくことと、誰かの仕事を正しく数え直す側に回ることです。後者は今日からできます。
まずは費用をかけずに一冊ためす
四作とも入口は一冊ぶんなので、最初から全部そろえる必要はありません。読み放題や聴き放題の無料期間で一冊だけ試し、この手ざわりが自分に合うかを確かめてから買うのが確実です。対象作品は時期によって入れ替わるので、無料期間のうちに候補が入っているかを見ておくと無駄がありません。
まとめ
南朝の敗死、風狂の禅僧、名を奪われた技術者、賊軍にされた元勲。並べてみると、四作とも「同時代には正しく数えられなかった人」を主役にしていました。読んでいるあいだは負け戦や不遇の話なのに、読み終えると採点表そのものを疑う目が残ります。
一冊だけ選ぶなら、四百九十六ページで完結する『破軍の星』から。ここで南北朝の手ざわりをつかんでから、時代をもっと長く追いたくなったら全十巻の『翔ぶが如く』へ。評価の逆転そのものを主題として読みたい人は『栄光なき天才たち』が最短距離です。
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