『天上の弦』とはどんな作品か
ビッグコミックスから全10巻で完結している、山本おさむさんによる歴史まんがです。主人公の鈴木政吉は、記録によれば明治期の名古屋で三味線を作っていた職人で、やがて国産バイオリンの製造へ進んだ人物として知られています。その息子が、のちに音楽教育の分野で名を残す鈴木鎮一です。
歴史まんがというと、たいていは武将か政治家が主役になります。この作品が珍しいのは、主役が最後まで「作る人」だということです。時代の大きな出来事は、工房に入ってくる注文や材料の値段、輸出の話として、いつも横から入ってきます。
あらすじ(結末には触れません)
物語は、三味線職人として生きるつもりだった政吉が、たまたま西洋の弦楽器を目にするところから動き出します。設計図もなければ教えてくれる人もいない。壊して中を見て、木を削り、また失敗する。その繰り返しから始まります。
やがて作った楽器が学校や演奏家の手に渡り、工房は町工場から会社へと形を変えていきます。ただし、規模が大きくなるほど、政吉が本当に作りたかったものと、売れる物とのあいだの距離も開いていきます。作り手としての満足と、事業としての成功が一致しないという問題が、巻を追うごとに重くなっていく——そこがこの作品の芯です。
実際に読んで印象に残った三つのこと
道具と木の描写が、そのまま物語になっている
実際に読むと、手の動きの描写がとにかく長いことに驚きます。鉋をかける、膠を煮る、板の厚みを指で確かめる。個人的には、最初の数十ページで「これは職人の話だ」と腹に落ちました。台詞で説明されるより先に、手が語っているからです。
近代化が「制度」ではなく「注文」の形で入ってくる
学校制度が整い、軍楽隊ができ、輸出の道が開く。教科書ならひと言で済む変化が、この作品では毎回「誰かが工房に持ち込む注文」として現れます。私はここで、明治という時代の手ざわりが変わりました。上から降ってくる改革ではなく、職人の手元に届く仕事の内容が変わっていくことが近代化なのだ、と読めるからです。
家族の物語としても読める
職人の技をどう次へ渡すか、渡された側がそれをどう受け取るか。政吉と息子たちのやりとりは、事業承継の話でもあり、教育の話でもあります。断定は避けますが、読み終えてから鈴木鎮一の仕事を調べ直すと、この巻の意味が変わって見えてきます。
こんな人に向いています
向いているのは、ものづくりや職人の話が好きな人、明治から昭和にかけての日本を「暮らしと仕事」の側から見たい人、そして音楽や楽器に関心のある人です。逆に、合戦や政局の駆け引きを主に求めている人には、同じ時代を扱う別の作品のほうが合います。時代ごとの名作は明治・大正・昭和を漫画と歴史小説で学ぶ完全ガイドにまとめてあるので、そちらから選んでも構いません。
同じ明治を文人の側から描いた作品を先に読みたい場合は、『坊っちゃんの時代』全5部はどこで読めるかと読み比べると、同じ年代の東京と名古屋がきれいに対になります。
どこから読むか、いくらから読めるか
全10巻で完結しているので、1巻から順に読むのがいちばん素直です。価格は変動しますが、確認した時点では電子版が1巻759円、紙の1巻は在庫しだいでそれより安く出ていることもありました。最新の価格と在庫は各ページでご確認ください。
まとめて揃えるかどうか迷うときは、全巻セットの総額と、読み放題やレンタルを混ぜた場合の総額を先に比べておくと判断が早くなります。その計算のしかたは歴史まんがは読み放題とレンタルの併用がいちばん安いで整理しています。
読む前に迷いやすいところ
全何巻ですか。完結していますか。
音楽や楽器の知識がなくても読めますか。
読み終えたあとに残るもの
10巻を閉じたあとに残るのは、偉人伝を読んだときの高揚感とは少し違うものでした。うまくいった仕事と、うまくいかなかった選択が、同じ重さで置かれているからです。歴史の本を読むときに、勝敗ではなく「その人が何を作ろうとしたか」を見る目を一つもらえる——私にとってはそういう10巻でした。
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