熊本県荒尾市。住宅地のあいだを抜けた先に、鉄骨を組み上げた櫓が一基だけ立っています。三池炭鉱の万田坑、その第二竪坑櫓です。二〇一五年に「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録され、国の重要文化財と史跡にもなっている場所です。
この記事は、万田坑を実際に歩いた順にたどりながら、歩いたあとに読むと効く本を四冊、「三池を書いた本」と「筑豊を書いた本」に分けて読み比べた記録です。価格はすべて2026年10月7日にAmazonで採取しました。
まず押さえる——万田坑は「三池」で、「筑豊」ではない
炭鉱の本を探すと、九州の石炭はほとんど筑豊の名前で出てきます。『青春の門』も、上野英信のルポも、山本作兵衛の絵も、舞台は筑豊です。ところが万田坑があるのは荒尾、つまり三池炭鉱で、これは福岡県の遠賀川流域に広がる筑豊とは別の炭田です。
私は最初、この区別をせずに本を買いました。現地で櫓を見て、帰ってから筑豊のルポを読んで、話が噛み合わないことにしばらく気づかなかったのです。同じ「九州の石炭」でも、経営の形も、労働争議の性格も、閉山の時期も違います。三池は三井の直営で、港まで専用鉄道を敷いて海外へ積み出す輸出炭の山でした。筑豊は中小の炭鉱が無数にあり、その多くが戦後の早い段階で消えています。
⚠️本記事で触れる事故や争議の経緯は、記録によれば、としか書けない部分があります。被害の規模や原因の評価には諸説あります。

第二竪坑櫓の前に立つと、何が分かるか
櫓は、ただの塔ではありません。これは縦穴に人と石炭を上げ下げするための滑車を、地上に支える骨組みです。つまりこの真下に、垂直の穴が深く通っている。櫓の高さを見上げてから、同じ分量だけ下に目を落とすと、地面の下がどれだけ「使われていた」のかが急に実感になります。
足元に残る赤煉瓦の建屋は、巻き上げ機や動力の設備が入っていたものです。石造りや煉瓦の建物が、鉄の櫓と同じ敷地に同じ時代のものとして並んでいる——これが明治から大正にかけての産業施設の見分け方の一つで、富岡製糸場や官営八幡製鉄所を歩いたときと同じ感覚でした。

入口から奥へ——施設は「生活の跡」とセットで残っている
入口から中へ進むと、櫓以外のものがたくさん残っていることに気づきます。坑口、浴場の跡、事務所、倉庫。炭鉱が「仕事場」であると同時に「生活の場」だったことが、建物の種類の多さから伝わってきます。社宅の話まで含めて読むと、ここが企業城下町だったという言い方の意味が分かります。
歩きながら考えていたのは、閉山のことでした。三池炭鉱が操業を終えたのは一九九七年です。平成に入ってからも石炭を掘っていたという事実は、遺構を「遠い明治の話」として見ていると取りこぼします。

炭鉱電車が示す「掘ったあと」の長さ
赤い電気機関車が屋根の下に保存されています。三池炭鉱は専用の鉄道を持っていて、掘った石炭を港まで運び、そこから船に積みました。鉱山の記事を書くとき、つい坑道の中だけを見てしまいますが、産業として成立させていたのは「掘ったあとの運ぶ仕組み」のほうです。櫓・鉄道・港が一本の線でつながって初めて輸出炭の山になります。
この視点は、同じ週に歩いた石見銀山や足尾銅山とも共通していました。掘る技術より、運ぶ経路と売る相手が、その鉱山の寿命を決めています。
歩いたあとに読む4冊を、三池と筑豊で読み分ける
① 三池の内側から:『三池炭鉱の日々』
単行本1,760円。万田坑を歩いた直後に読むなら、まずこれです。場所の名前がそのまま出てくるので、さっき見た建物と文章が一対一で対応します。現地で撮った写真を横に置いて読むと、理解の速さが変わります。
② 三池の事故を追う:『三池炭鉱 同時代ドキュメント 1963年炭じん爆発を追う』
単行本2,557円。採取時点の在庫は残り1点でした。一九六三年に三池で起きた炭じん爆発は、記録によれば四百人をこえる犠牲者を出し、一酸化炭素中毒の後遺症が長く残った事故です。①で場所を掴んでから読むと、どの坑でいつ何が起きたのかを地図の上に置けます。重い内容なので、最初の一冊には置きませんでした。
③ 筑豊の坑夫を描く:上野英信『追われゆく坑夫たち』
岩波新書1,166円(単行本は1,411円)。こちらは筑豊です。中小炭鉱が次々に閉じていく時期に、そこで働いていた人たちがどこへ行ったのかを追った記録で、三池のような大手直営の山とは景色がまるで違います。三池だけを読むと「石炭産業の終わり」が整然とした話に見えますが、この一冊を挟むと印象が変わります。新書なので値段も入りやすい。
④ 絵で読む地の底:山本作兵衛『新装版 画文集 炭鉱に生きる』
単行本1,870円、文庫970円。筑豊の坑内を、実際に働いた本人が絵と短い文で記録したものです。文章だけでは想像しきれない「坑道の高さ」「姿勢」「道具の持ち方」が、絵だと一目で入ります。私は③を読んだあとにこれを開いて、ようやく坑内の寸法が頭に入りました。取り寄せになることがあるので、日程に余裕を持って注文するほうが安心です。
小説から入るなら:五木寛之『青春の門 筑豊篇』
講談社文庫1,056円。記録ではなく物語から入りたい人向けです。こちらも舞台は筑豊なので、万田坑の予習としては外れますが、「炭鉱町で育つ」という感覚を掴むには早い。読む順番としては③④のあとが向いています。
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読む順番だけ決めておく
四冊を同時に買う必要はありません。①で場所を掴む → ③で別の炭田を見る → ④で坑内の寸法を入れる → ②で事故に向き合う、の順が、私には一番無理がありませんでした。②を先に読むと、現地で見るものがすべて事故の前史に見えてしまいます。
万田坑を歩いて強く思ったのは、終わり方には準備の差が出る、ということです。三池は港と鉄道と社宅まで企業が抱えていたぶん、閉山の衝撃をまるごと一つの町が受け止めました。筑豊は小さな山が無数にあって、閉じるのは早かったけれど、働いていた人は散り散りになりました。どちらが良かったという話ではなく、事業をたたむときの形は、始めたときの形でほぼ決まっているということです。拡大しているあいだに、終わらせ方の設計まで含めて選んでいる。遺構はそのことを、鉄と煉瓦で見せてくれます。
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