日光へ行くと、多くの人はまず陽明門の彫刻に驚いて、そのまま帰ってきます。ただ、あの門も、五重塔も、唐門も、「見せるため」ではなくひとりの人間を神にするために設計された装置でした。設計したのは、家康の晩年に側近をつとめた僧・天海だとされています。※諸説あり
この記事では、日光山を歩く前に読んでおきたい江戸初期の3冊を挙げ、それぞれ「何冊で・どの形で買うと総額が軽くなるか」まで分解しました。歩いてから読むのではなく、読んでから歩くほうが、この場所は圧倒的に面白くなります。
1冊だけ選ぶなら、まずここから。
天海という僧|家康を「東照大権現」にした人

家康は元和2年(1616年)に亡くなります。遺言は「久能山に葬り、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて祀れ」という趣旨だったと伝わります。※諸説あり
問題はその先でした。神として祀るとして、どの神号にするのか。ここで天海が主張したのが「権現」で、対する吉田神道の側は「明神」を推したとされます。天海の案が通り、家康は東照大権現として日光に祀られました。
この一件は、単なる呼び方の争いではありません。豊臣秀吉が「豊国大明神」として祀られ、豊臣家の滅亡とともにその社が壊された直後の出来事です。同じ道を通らない神号を選ぶことそのものが、徳川の政治判断でした。
歩く前に知っておくと、景色が変わる3つ
1|五重塔は「寺の塔」である

神社の境内に五重塔があることを不思議に思う方は多いはずです。これは日光山が長く神仏習合の山だったからで、明治の神仏分離までは、東照宮も輪王寺も二荒山神社もひとつの山として運営されていました。天海は天台宗の僧です。神社を作ったのではなく、山ごと再編したと考えるほうが実態に近い。
2|陽明門は「くぐらせる」ための門
彫刻の数の多さばかりが有名ですが、参道を登ってきた人が最後に見上げる位置に置かれている、という配置のほうが本質です。江戸から日光までは歩いて数日かかりました。その疲れの果てに、この門が現れる。体験の順番までが設計されているわけです。
3|唐門は「入れない門」

唐門から先へ進めるのは、かつては限られた人だけでした。誰もが見られるが、誰もが近づけるわけではない。私は最初に訪ねたとき、ここで足を止められてはじめて「これは観光地ではなく墓所なのだ」と分かりました。
読む→歩く→また読む|日光山と江戸初期の3冊
天海そのものを主役にした作品は多くありません。そこで、「家康が神になる直前の時間」を別の角度から描いた3冊を選びました。
| 作品 | 読むと分かること | 歩くときの効き方 |
|---|---|---|
| 影武者徳川家康(隆慶一郎) | 関ヶ原以後の家康を「本物かどうか」から疑う | 神格化がどれほど政治的な作業かが腹に落ちる |
| 徳川家康(山岡荘八) | 幼少期から晩年までの通史 | 日光に至るまでの長い助走が見える |
| 大奥(よしながふみ) | 江戸城という装置の内側 | 権威がどう維持されるかの視点が増える |
3冊、どの買い方が一番軽いか
『影武者徳川家康』は判型で冊数が変わるので、ここがいちばん総額に効きます。
| 買い方 | 冊数 | 向いている人 |
|---|---|---|
| 電子の合本版 | 1冊 | 移動中に読み切りたい。上中下を買い直す手間がない |
| 新潮文庫を1冊ずつ | 3冊 | 上巻で合うか確かめてから進めたい |
| コミック版(原哲夫) | 巻数は多い | 活字が重い日でも入れる。絵で人物を覚えたい |
価格と読み放題の対象は時期で入れ替わるので、申し込みの前にリンク先で必ず現状を確認してください。冊数が少ない形を選ぶだけで、途中で止まる確率はかなり下がります。
形を選んで、どうぞ。
現代の私たちへ
天海がやったのは、新しい神を作ることではなく、すでにある枠組みのどれを選ぶかを決めることでした。明神ではなく権現。そのひと言で、その後の二百六十年の見え方が変わります。名前の付け方ひとつで扱いが変わるのは、いまの仕事でもまったく同じです。日光の派手な彫刻の裏側には、地味で執念深い設計があります。



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