日光と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、徳川家康を祀る日光東照宮でしょう。けれど日光が「聖地」になったのは東照宮より800年以上も前のことです。奈良時代の終わり、ひとりの僧が険しい山に登り、山上に神を見た。そこから日光の歴史は始まりました。今回は東照宮の門前町から山を登った先、奥日光・中禅寺湖を歩きます。

日光をひらいた人・勝道上人
日光を開いたのは、勝道上人(しょうどうしょうにん)という僧です。下野国、いまの栃木県に生まれ、若いころから山にこもって修行を重ねた人物と伝わります。彼が男体山の登頂に成功したのは782年のこととされ、それ以前に二度挑んで失敗しているとも言われます。※年代や経緯には諸説あります。
標高2,486メートル。装備も登山道もない時代に、信仰だけを頼りに登り切ったことになります。しかも彼は登頂を「達成」で終わらせず、山上に神を祀り、翌々年には湖のほとりに寺を建てたと伝わります。それが中禅寺です。
時代でいえば、勝道上人は最澄や空海とほぼ同じ世代にあたります。都で新しい仏教が立ち上がろうとしていたころ、東国では山そのものを道場とする信仰が育っていました。
「二荒」から「日光」へ
男体山はかつて二荒山(ふたらさん)と呼ばれていました。この「二荒」を音読みして「にこう」とし、そこに「日光」の字を当てたのが地名の由来だという説があります。空海が名づけたという伝承も残りますが、これも確かなことは分かっていません。※地名の由来には複数の説があります。
いずれにせよ、日光という地名の根っこには寺社よりも先に「山」があります。東照宮の絢爛な彫刻を見たあとに奥日光へ上がると、この土地の順番が体でわかります。
いろは坂を登って、湖のほとりへ
東照宮のある日光市街から中禅寺湖までは、標高差およそ500メートル。曲がりくねった坂道を一気に登ります。かつて奥日光は女人禁制の修行の地で、限られた人しか足を踏み入れられませんでした。いまはバスや車で上がれますが、坂を登り切って湖面が開けた瞬間の感覚は、当時の巡礼者が味わったものと地続きな気がします。
中禅寺湖は、男体山の噴火で川がせき止められてできた湖と考えられています。標高1,269メートル、夏でも空気がひんやりしています。明治以降は外国人外交官の避暑地として知られ、湖畔には各国大使館の別荘が建てられました。信仰の山が、近代には避暑地として「再発見」されたわけです。

華厳の滝——湖の水が落ちる場所
中禅寺湖から流れ出た水が、97メートルを一気に落ちるのが華厳の滝です。名前は仏教の経典『華厳経』に由来すると言われ、周囲の滝にも仏教にちなむ名がつけられています。滝そのものが信仰の対象として名づけられてきたことが、名前からうかがえます。
観瀑台から見上げると、水の音が谷いっぱいに反響します。派手な見どころという以上に、「湖の水はここから落ちて下界へ向かうのだ」という地形の理屈が体感できる場所です。上から順に、山・湖・滝と歩くと、日光という土地がひとつながりに見えてきます。

読んでから歩くと、山の見え方が変わる
奥日光を歩く前に読んでおきたいのは、同じ時代の仏教を描いた作品です。おかざき真里さんの『阿・吽』は、最澄と空海という二人の僧が平安初期を生きた物語で、勝道上人が男体山に登ったのとほぼ同じ時代の空気を描いています。都で経典と格闘していた二人と、東国で山に登り続けた僧。読み比べると、当時の「修行」がどれほど多様だったかが見えてきます。
おかざき真里『阿・吽』全14巻を徹底紹介|最澄と空海、平安を生きた二人
現代の私たちへ
勝道上人は、二度失敗してから三度目に登頂したと伝わります。しかも登った後にやったのは記念碑を建てることではなく、山の上に祈りの場をつくり、麓に寺を建てることでした。登ることが目的ではなく、登った先で誰かが続けられる形を残すことが目的だったわけです。
成果を出したあと、それを自分の手柄で止めるのか、次の人が使える道にするのか。1,200年以上前の登山が、いまも中禅寺湖のほとりに寺として残っているのは、後者を選んだからでしょう。
歩き方の目安
- 行き方:JR・東武日光駅からバスで中禅寺温泉まで約45分(いろは坂経由)。紅葉期は渋滞するため時間に余裕を。
- まわる順:中禅寺湖畔 → 二荒山神社中宮祠 → 中禅寺(立木観音) → 華厳の滝。半日でひと通り歩けます。
- 服装:標高1,269メートルで、夏でも朝夕は冷えます。羽織るものが一枚あると安心です。
- あわせて:下山後に東照宮を訪ねると、「山の日光」と「徳川の日光」の対比が効きます。
※所要時間・運行状況は季節や年により変わります。訪問前に最新情報をご確認ください。
まとめ
奥日光は、東照宮より800年以上前にひらかれた信仰の土地です。勝道上人が782年に男体山へ登り、山上に神を祀り、湖畔に寺を建てた。その積み重ねの上に、のちの東照宮も、明治の避暑地も乗っています。
中禅寺湖のほとりに立って男体山を見上げると、「この山に登ろうと思った人がいた」という事実そのものが不思議に感じられます。読んでから歩くと、その不思議はもう少し深いところまで届きます。
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